日本の中の英語、英語の通じない国で考えたこと

英語って大事だよね。とつくづく思った中国での5日間。とにかく通じません。というか、英語が「無い」。レストランのメニューにしても買い物の値札にしてもそりゃ日本でもそんじょそこらに英語表記のものがあるかといわれれば無いのだけど少なくとも今いる地は外資を呼び寄せるための特区であり外資のホテルに泊まっていてその周りのお店で英語表記がないとは何事かと憤るのは自分がわがままだとかというレベルを超えて許されることだと思う。というか許して欲しい。

と同時に地元住民(と思われる人々)の英語に対する感度が余りに低いのも泣けてくる。まぁ自分の発音が悪いのは抜きにしても基本的な単語も通じません。そして話しかけてくるのは中国語ばかり。いまどき日本人だって外国人にはまずは英語で話しかけるというのに。。そんな現実に出くわすと中学で英語の勉強を一時放棄した自分ですら英語の有り難味が分ります。いやー英語って素晴らしいね。万国共通という一点において尊敬します。インドでもシンガポールでももちろんアメリカでも英語さえ話せれば、たとえカタコトででも、なんとかやっていける気になったもんですがここではそんな気はさっぱり起こりません。それぐらい英語はマイノリティー

そういう日々を過ごしていると改めて思うのは日本語は、というか日本は上手く英語を取り入れているなぁということ。少なくとも義務教育的な英語教育もその後の自主的もしくは課題としての英語勉強もろくにしていない自分でさえ普段の生活から得られる英語知識というのはそう馬鹿にならない量で、それらの知識だけでもある程度なら会話が出来るわけです。インドでもシンガポールでももちろんアメリカでも。つまり「そういう土壌があるから」話せる。教育ではない別の土壌。逆に今いる所では見る限りほぼ全て中国語に置き換えている。マクドナルド?スターバックスケンタッキーフライドチキン?これらも全て漢字表記。しかも簡体字繁体字だったりするから普段漢字を使う日本人でも分らない。いや、漢字の話はどうでもいい。とにかくありとあらゆる外国語は全て自国語に変換されてしまうため一般市民が外国語に触れる機会が極端に少ないと想像できる。だから英語への感度が低くなっているのだろうと。そう、彼らは彼女らは英語が通じないんではない。「知らない」のだと気が付いたのがここ1,2日の成果。

そんあ事をつらつら思った週末であった。まる